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「正義とは(貧乏人向けの)娯楽である」という文句についての考察

 

正義の本質は娯楽であると、と作家の橘玲先生は言う。

また、正義とは貧乏人の娯楽です、という文句を語っている方もいる。

今回はその、「正義とは(貧乏人向けの)娯楽である」という文句について考察していこうと思います。

正義の定義

 

正しいこととは

正義を定義するのは難しいです。

正義VS悪という場合は少なく、大抵は悪から見たら相手が悪です。

俺は悪者だな〜と思いながら戦う人はあまりいません。

なのでどちらが正しいかで、正義を定義するのは現実的ではありません。

そもそも正義という言葉自体が誤解を招く言葉です。

正義の定義として、

人の道にかなっていて正しいこと

デジタル大辞泉

このようなことが書かれています。

しかし、正しいことの定義が難しいわけで、正しいことという観点から定義するのは諦めた方が良さそうです。

となると視点を変える必要があります。

動物と同じ

人間を動物と区別することなく、あくまで動物の中の一種類と捉えるべきです。

この観点から正義を捉えなおすと、正義とは本能に基づく利己的なものとなります。

人間を含めあらゆる動物は本質的には自分中心な存在です。

一見利他的な行動に見えても、よく観察してみると大抵の場合はその個体に利益をもたらす(もしくはもたらし得ると考えられる)行動です。

有名な話としてレミングの集団自殺というものがあります。

レミングは大量発生などにより密度が高まると、群れの中からで川や海などに突っ込みそのまま自殺する集団が出てきます。

これは自分が犠牲になることで他の個体の食料などの確保を目指す、利他的行動に見えます。

しかし、実際はそんなことはなく雌と繁殖できなかった雄がそこにいても仕方ないので、旅に出るのが理由だということです。

結局は利己的な行動です。

利他的な行動をする動物の報告が他にないわけではないですが、数は少ないです。

いたとしてもレミングのように本当の理由がわかっていないだけかもしれません。

正義を再定義

復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位と極めて近いと橘氏が言うように、正義は快楽に繋がります。

正義によって悪を倒そうとするとき、人間は快楽を感じるのです。

したがって以上のことをまとめると、

正義とは自己中心的な快楽であると定義できます。

正義は娯楽なのか

 

利害関係がある場合

自分が利害関係がある場合、より自分に有利な方向に状況を持っていきたいものです。

もちろんそれは他の動物も同じですが、人間が他の動物と違うのはそれに最もらしい理由をつけるのが上手いことです。

その理由こそが正義です。

最も利用しやすい正義が法律です。

法の下の正義は説得力が強く強力です。

しかし、法律を持ち出し裁判で戦うほど状況が切迫している場合、正義を楽しんでいる余裕はあまりないでしょう。

なので利害関係が自分に大きく関係する場合は、正義は娯楽であるは、当てはまりません。

 

利害関係がない場合

自分に関係がないのになぜ正義を振りかざそうとするのか?

考えられる理由は3つです。

  • 実は自分に利害関係が及ぶ可能性がある、又はそう感じるから
  • 不快な感情をニュートラルに戻せるから
  • 楽しいから

1つ目の理由は結局利害関係の話になるので省きます。

残るのは2つ。

マイナスを0に戻すか、0をプラスに戻すかです。

察しがいい方はもうお気づきになったかもしれませんが、この2つも究極的には自分の利害関係の問題です。

不快感を感じるという害、楽しいからという利。

結局全ては利害関係だということです。

ただ利害の程度が違うだけです。

 

結論

人間はどうしたって自分中心な存在です。

正義は結局は自分の利害関係に絡むことなのです。

なので、常に当てはまるわけではないですが、正義は娯楽である側面もあります。

 

正義は貧乏人向けの娯楽なのか

 

先に述べたとり正義は娯楽である場合もあります。

正義は貧乏人向けなのかの以降の考察は、正義が娯楽である場合を想定して行います。

貧乏人の娯楽だと仰る方がいうには、十分なお金があれば国会前のデモとスキューバダイビングが同じ日に被ったらスキューバダイビング行くだろうとの事です。

自分の利害の関係から考えると、

国会前のデモに行く事で得られる利益とスキューバダイビング(あくまで例)に行く事で得られる利益なら、ほとんどの人は後者の方が多そうです。

中にはデモに行く事が至上の楽しみな人もいるかもしれませんが、大抵の人はお金があればそれで好きな事やったほうが楽しいでしょう。

“他の楽しい事”を見つけるのにはお金はないよりある方がいいでしょうし、見つけてからもお金はあった方がいいです。

お金と娯楽として楽しむかは相関係数1ではないですが、相関はある程度あります。

なので、貧乏人の娯楽というよりは他に熱中できる事がない人に当てはまると言えます。

また、社会的状況が悪い人ほど正義を語り憂さ晴らしする傾向があります。

以上をまとめると、熱中できる事もなく、ストレスが溜まっている人がより正義を娯楽とする傾向があります。

この条件は貧乏ではない人より貧乏な人が当てはまりやすいので、そういうレッテルが貼られるのもある意味仕方ない事なのかもしれません。

このレッテルを貼った方も、貧乏人全員が正義を娯楽にしているとは思っていないでしょう。

 

終わりに

このテーマを書いていて若干虚しくなりましたが、正義には娯楽の側面があり、それが特に貧乏な人に当てはまりやすいのは事実だと思います。

正義とは利己的な行動の一種であり、それは娯楽になりやすいです。

 

 

冒頭で述べた文句についての記事のリンクは下記に記載

[橘玲の日々刻々]正義の本質は娯楽である
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